チュニジアのこと
2011年 01月 19日
一般的には「チュニジア」と書きますが、外務省では「テュニジア」と書きます。
コダワリなのかなんなのか。
それはさておき、テュニジア騒乱のことが報道されています。
アラブ初の民衆革命と言われ、他のアラブ諸国への波及が期待されているようです。
表面的とは言え、国民の支持を集めていた大統領が呆気なく国外脱出するとは・・・。
諸行無常です。
一寸昔を思い出しました。
町のアチコチで大統領のポスターが掲げられ、テレビでは常に指導的立場のベンアリ大統領が報道されていました。個人崇拝の強制まではないにしても、日々刷り込みは行われていたのだと思います。
私が赴任した当時は、アメリカと戦ったアラブの英雄としてイラクのフセインの写真を持っていた人が沢山いたことをみると、英雄を欲していたのかも知れません。
そんな国でしたので、町の売店には、写真のような大統領グッズが普通に売っていました。
誰も付けている人いませんでしたが、外国人の私がこれを襟元に付けていると、何処へ行っても相手の対応が気持ち丁寧になるご利益がありました。
不快な思いを減ずるバッジの威力。流石は大統領と思ったものです。
その大統領が国外脱出とは。
評価は分かれると思いますが、強権体制でイスラム原理主義や反体制を押さえ込み、親欧米路線で経済を活気付け、発展に導いた功績はあるのだと思います。
道筋付けて道を譲ればこんなことにならなかったのでしょうけどね。
それができないのが絶対権力を持った人間の悲しい性でしょうか。
コダワリなのかなんなのか。
それはさておき、テュニジア騒乱のことが報道されています。
アラブ初の民衆革命と言われ、他のアラブ諸国への波及が期待されているようです。
表面的とは言え、国民の支持を集めていた大統領が呆気なく国外脱出するとは・・・。
諸行無常です。
一寸昔を思い出しました。
町のアチコチで大統領のポスターが掲げられ、テレビでは常に指導的立場のベンアリ大統領が報道されていました。個人崇拝の強制まではないにしても、日々刷り込みは行われていたのだと思います。
私が赴任した当時は、アメリカと戦ったアラブの英雄としてイラクのフセインの写真を持っていた人が沢山いたことをみると、英雄を欲していたのかも知れません。
そんな国でしたので、町の売店には、写真のような大統領グッズが普通に売っていました。
誰も付けている人いませんでしたが、外国人の私がこれを襟元に付けていると、何処へ行っても相手の対応が気持ち丁寧になるご利益がありました。
不快な思いを減ずるバッジの威力。流石は大統領と思ったものです。
その大統領が国外脱出とは。
評価は分かれると思いますが、強権体制でイスラム原理主義や反体制を押さえ込み、親欧米路線で経済を活気付け、発展に導いた功績はあるのだと思います。
道筋付けて道を譲ればこんなことにならなかったのでしょうけどね。
それができないのが絶対権力を持った人間の悲しい性でしょうか。
by sekikonko88
| 2011-01-19 16:07
| 生活